・「がんばれ」とか「がんばる」ということばは、
いつごろからか、けっこう使いづらくなってきています。
すでにがんばっているのだから、
「がんばれ」と言われるのは心外です‥‥とか、
「がんばれ」と言われると萎縮して
精神的にダメージを受ける人もいるんです‥‥とか、
「がんばれ」と気軽に言える人は、
なんか他人事みたいで無責任な気がします‥‥とか、
たしかに、そういうことも言えるかもしれないのですが、
ぼくには「がんばれ」が無くなっちゃってもいい
とは思えないんですよね。
ここでは「がんばれ」でしょう、
という場面はいくらでもありそうです。
そして、ぼく個人は「がんばれ」と言われても、
だいたいはうれしい気持ちになると思うんです。
軽く言われるのも、他人事として言われるのもいいです。
日常で交わされることばのほとんどは、
軽くて意味の薄い肩をぽんっと叩くようなもんですから。
「がんばれ」よりも、もっと好かれてないのは
「がんばりたいです」ということばですね。
しっかりと「がんばります」でいいじゃないかよ、と。
はじまる前からうまく言い訳をしているようだ、と。
たいそう評判のわるいセリフなのですが、
これについても、ぼくは
「しょうがないじゃないか!」と思ってます。
がんばる場面があったらがんばりますよ、誰だって。
だけど、「がんばろう」という状況がない場合は、
がんばりようがないじゃないですか。
例えば、職がないとか、仕事が入ってこないとかね。
「がんばる」場があちこちにあるのが、
ひょっとしたらいい社会なのかもしれないです。
被災地に雇用をつくるとかっていう問題や、
復興計画をどうするかっていうことなんかも、
「がんばりたい」人たちの場をつくるってことでしょう。
そしたら「がんばれ」るもの‥‥。
ぼくら、そのために、なんとか「がんばりたいです」。
今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
でもあえて「あんまりがんばらない」っていうのもあるね。
理解は遅れてやってくる
少女:えー、じゃあ〈解ける〉系だと?
少年:問題を解けるようになるための反復練習になる、というか、にする。語学の比喩をつかっていうと、外国語の単語を見て瞬時に思い出せないと、段々読むのが面倒になってくるでしょ? それに思い出すのに頭を費やすと、内容を理解するのに回せる/使える認知資源が少なくなって理解度も落ちる。数学だと、公式とか計算の仕方みたいなのがこれに当たるから、頭使わなくても解けるくらいにしとくと、込み入った展開を追うのでも、理解する方に頭の能力をより多く割ける。理解のために必要な認知資源を確保するための反復練習=自動化、というか。
少女:やっぱり覚えた方がいいの?
少年:よくある言い回しの丸暗記だけでも、とりあえず会話入門にはなる。というよりも、考えずに反射的にフレーズが出てくるまでパターン・プラクティスをやらないと、文法知識だけだと畳の上の水泳に終わっちゃう。うまくいかなくてモチベーションも下がるかもしれない。
少女:それはそうかも。
少年:ただ〈分かる〉が追いついてこないと、知識の関連付けが弱くて、応用が効かなかったり、テストが終わると急速に忘れたりもするけど。あとやっぱり〈解ける〉けど〈分かる〉までいってないと、なんだかもやもやする。それが〈分かる〉へ向かうモチベーションにもなるんだけど。その〈もやもや〉にたどり着いて、〈分かる〉が追いついてくるまで居続けるには〈解ける〉ことが必要なんだ。
少女:「〈分かる〉は後から追いついてくる」って信じてた方が、暗記数学でも少しはやる気が出るかな。
研究グループによりますとこれは、平均的な日本人男性の胆管がんによる死亡率からみると600倍以上の極めて高い値だということです。
目の前に「できること」を見つけることが、
いまのぼくらの「できること」のように思います。
震災のあの日も、その翌日からの日々にも、
「できること」を必死でしてくれてた人がいた。
そのことへの敬意と共に、
この先につながる「できること」を見つけていきたい。
‥‥ん? どうした、おれ。
そんなえらそうなことを言わなくてもさ、
肩の力を抜いて、「できること」をしますです。
「適切に」判断したり、「正しく」組み付けたりすることは、特にそれが100% に近い再現を求められた場合には、とんでもなく難しい。
詳細なマニュアルを作成して、現場にそれを徹底したところで、大きく「適切に判断を行う」と書かれた項目が残っていたら、かならず誰かが間違える。
「適切」な判断や「正しい」組み付けを現場に実現しようと思ったら、マニュアル本から「適切」や「正しく」といった言葉を追放すればいい。便利な言葉が禁止されれば不便になって、マニュアルを書く人は頭を抱える。抱えた頭で手順を見直すと、「正しく」やらなくても正しい結果にしかなりようがない、本来そうあるべき手順にたどり着ける。
[…]
能力は、再現の手法を示してみせることで、はじめてそれを他人に求めることができる。「ちゃんと」やって生き延びてきたベテランの人たちには、ぜひとも「ちゃんとを再現する方法」を残してほしいなと思う。
「本流トヨタ方式」では、「適当」「適正」「確実」などの言葉は、具体的でない点で同じなので、上司から部下に向かって「作業を指示する言葉」の中にあってはならないと考えます。 冒頭のゴムホースの例を考えてみて下さい。「パイプにゴムホースを確実に差し込むこと」という指示があったとします。それに対して、「写真A」「写真B」「写真C」どれもが指示された通りの作業の結果なのです。
最小限度でも「差し込み代20ミリ、ねじらないように」と具体的に指示しなければなりません。さらに言えば「組み付け基準」を「部品の中に埋め込む」ことが必要になります。
[…]
今のゴムホースの例では、ねじれが一目で分かるようにホースに縦に線を入れること、ここまで差し込むという目印をパイプに付けることが、設計に埋め込むテーマでした。
このようにすることを「自働化」の概念の中では「見える化(Visual Control)」と言います(詳しくは後日お話しします)。
(あってはならない「確実に」という作業指示 プリウスに見るゴムホースの「組み付け基準」から)
1 week ago